京都の町家「京町家」の種類と構造、よく使われる用語をご紹介。

京町家の造り

京都の京町家の定義は京都市によって「1950年(昭和25年)以前に伝統的木造軸組工法で建てられた京都市の木造家屋」と定められました。
京町家は、間口が狭く奥に長い「うなぎの寝床」や「短冊形」と呼ばれる構造で、 基本的には、表の通りに面した間口から「店(見せ)の間」(土間)、 「中座敷」「台所(居間)」「奥座敷」「坪庭(つぼにわ)」と 一直線上に並んでおり、奥の庭まで続き土間「通り庭」で繋がった間取りになっています。
屋根の棟を通りに平行に構える「平入り」形式で、紅殻格子(べんがらこうし)と呼ばれる色の濃い格子や犬矢来、 漆喰(しっくい)の塗屋造りと呼ばれる町家建築の二階部分に、縦に格子状に開口部を設けた固定窓「虫籠窓(むしこまど)」も特徴的です。 二階建ての他、三階建ての京町家もあります。
ただし京町家は、実際には様々な様式があり、厳密な定義はありません。

京町家の歴史は平安時代中期にまでさかのぼり、 豊臣秀吉による軍事的意味合いや治水計画による都のに都市改造の後、現在のような「ウナギの寝床」のような京町家が誕生したと言われています。

江戸時代末期の通称「どんどん焼け」という京都の大火災によって、ほとんどの京町家は消失し、 現在残っている京町家のほとんどは、江戸時代からの意匠を引き継いで明治時代以降に建てられたものです。

京町家と京町屋の違い

町家と町屋はほぼ同じ意味ですが、町家は民家なのに対し、町屋は店舗を併設する民家という意味合いで使い分けるケースもあるようです。
京都にある、鰻の寝床が特徴的な町家を京町家と言い、基本的に住居に店舗を併設していますが、店舗を持たない京町家もあります。

京町家の用語

京町家の用語をご紹介します。

厨子二階(つしにかい)

江戸時代の町家(商家などの伝統的な家屋)に見られる特徴的な構造の一つで、明治時代後期まで建築されました。 建物の二階部分の天井が低く、外観から見ると屋根裏部屋のような形状になっており、虫籠窓があるのが一般的です。中二階とも呼ばれます。
江戸時代の町屋では、建物の高さや構造によって課される税金(家屋敷税)が異なりました。二階を「居住空間」ではなく、倉庫や物置として扱うことで税負担を軽減できたため、このような構造が広まりました。

総二階(そうにかい)

「総二階(そうにかい)」は、明治後期から昭和初期にかけて流行した町家の建築様式で、 1階と同じ高さの天井を持つ二階を備えているのが特徴です。 従来の低い「厨子二階」とは異なり、二階にも十分な居住性があり、木枠にガラスをはめた窓が一般的に用いられています。
この形式は「本二階(ほんにかい)」とも呼ばれます。

三階建ての京町家

三階建ての京町家は、明治時代以降に建築規制が緩和されたことで建設が可能となった、比較的新しい形式の町家です。 江戸時代には三階建ての町家は存在せず、昭和25年以前に建てられたものが京町家として分類されます。
京都市が2010年に実施した調査によれば、京町家の過半数は総二階で、看板建築が2割弱を占める一方、三階建ては非常に数が少なく、ほとんど現存していないようです。

平屋(ひらや)

京町家の「平屋」とは、もともと商売を終えた店、いわゆる「仕舞った」建物が住居として転用されたものを指します。 表通りには塀を巡らせ、その奥に平屋建ての住まいを構える形式で、主に裕福な商家や医者の住宅として使われてきました。 店舗として利用されることは少なく、住居専用の建物としての性格が強いのが特徴です。
中世の町家の多くも平屋であり、現代では「平家」と表記されることもあります。

虫籠窓(むしこまど)

京町家の虫籠窓は、厨子二階(つしにかい)に設けられた道路に面した窓で、太い縦格子の中を漆喰で塗り込めた構造が特徴です。
通風や採光を確保しつつ、火災の延焼を防ぐ役割もあり、形が虫籠に似ていることからその名が付きました。 京町家の外観を象徴する意匠の一つです。

仕舞屋(しもたや)

仕舞屋とは、明治後期頃から見られる住居専用の京町家で、商売を辞めた店、
「仕舞った」=「商いをやめた店」
が住宅として使われるようになったものです。 店舗部分がなく、通りに面した外観は落ち着いた佇まいが特徴で、塀や出窓、格子が用いられます。
大塀造(だいべいづくり)はその一種で、建物が直接道路に面せず、表通りに塀をめぐらし、玄関先に庭を設け、その奥に家屋を配した屋敷形式を指します。 塀付き、高塀造(たかべいづくり)とも呼ばれます。

看板建築(かんばんけんちく)

京町家の看板建築とは、店舗併用住宅の正面をあたかも看板のように装飾した建築様式で、大正末から昭和初期にかけて、特に関東大震災後の復興期に東京を中心に広まったスタイルが京都にも波及したものです。
木造の町家にモダンなファサードを取り付け、洋風や近代的な印象を与えるのが特徴です。
昭和中期の高度経済成長期にも、既存の京町家の表側だけを近代的に改修する例が多く見られました。
外観は伝統的な京町家とは異なりますが、元の構造が残されていれば、意匠を復元することも可能とされています。

うだつ

「うだつ」とは、建物の端の壁を屋根よりも高く立ち上げた部分で、隣家との境界に設けられる防火壁の一種です。
もともとは火事の際に延焼を防ぐための実用的な構造でしたが、次第に装飾的な意味合いも加わり、家の格式や財力を示す象徴としても用いられるようになりました。 特に町家や商家に多く見られ、漆喰や瓦で丁寧に仕上げられた意匠が施されることもあります。

「うだつ」は本来「梲(うだつ)」と書き、柱の上に渡して小屋組を支える部材を意味していましたが、室町時代以降になると「卯建」や「宇立」といった字が当てられるようになりました。
「うだつが上がらない」という慣用句は、この構造を設けるには相応の財力が必要だったことから生まれた言葉です。

犬矢来(いぬやらい)

犬矢来とは、京町家の外壁を保護するために設けられた竹や木製の囲いで、犬などの小動物が建物の外壁で用を足したり、通行時の泥はねによって壁が汚れるのを防ぐ役割を持ちます。
竹を曲げて斜めに組んで作られるのが一般的で、実用性だけでなく町家の景観美にも寄与する、京町家ならではの伝統的な意匠のひとつです。

紅殻(べんがら)

紅殻(「弁柄」「べんがら」「べにがら」とも言う)とは、酸化鉄を主成分とする無機赤色顔料に煤を混ぜた塗料で、京町家では外部や内部の木部の仕上げに広く使われてきました。 もともとはインドのベンガル地方で採れる酸化鉄に由来し、その名が付けられたとされています。
町家では、この紅殻を木材に塗ることで、木の劣化を防ぎ、防虫効果を高めるとともに、美しい赤褐色の風合いを与えます。実用性と美観を兼ね備えた、京町家ならではの伝統的な仕上げ技法です。

年々減少傾向にある京町家を守るために

防火や耐震など建築基準法を満たしづらく、同じ様式でのリフォームも困難なことなどで、所有者の高齢化、相続者の不足により、京町家は残念ながら年々減少傾向で、年間800件ずつなくなっています。 2008、2009年度の調査で確認された47,735軒が、2016年度の調査では、40,146軒にまで減少、1日当たり2.2軒のペースで京町家がなくなっているそうです。
(参考:ビジネス+IT1日2.2軒も「京町家」が消失、このまま京都の街並みは失われるのか

京都市では、京町家を後世に残す取り組みを行っており、京町家を解体したい、改修したい、借りたい、活用したい、支援してほしいなどの相談が可能です。 詳しくは京町家を未来へをご覧ください。

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